定期研修会

2019秋のガイド研修会(松阪市)報告

2019.11.19 

令和元年度 東浦ふるさとガイド協会 秋のガイド研修会  

2019 年 11 月 19 日 本居宣長、松坂商人、松坂木綿と松坂城跡       浪崎 正憲

 

11 月 19 日秋の研修会に選んだのは、松坂城跡と本居宣長(もとおり のりなが)さらには松坂商人と 松坂木綿を生んだ町「松阪(まつさか)市」をマイクロバスで訪ねました。 参加者 26 名は秋晴れに恵まれて、見どころいっぱいの松阪を堪能することが出来大満足の一日でした。

 

1 蒲生氏郷(がもう うじさと)が築いた松坂城と御城番屋敷(ごじょうばん やしき) 

 

  隣には三重県立松阪工業高校と松阪神社がありますが、これらは何れもお濠の中側にあります。 この他に城内には、「松阪市立歴史民族資料館」と「本居宣長記念館」と「鈴屋(旧宅)」 があります。
織田信長亡き後、羽柴秀吉に仕え天正 12 年(1584)12万石の所領を与えられた蒲生氏郷は、天正 16 年(1588)城づくりを始めて 3 年で完成させ、新しい城に本拠を移し蒲生家に吉祥をもたらす「松」の字と、秀吉の本拠地「大坂」の「坂」の字を合わせ「松坂(まつさか)」と名付けました。 松隣には三重県立松阪工業高校と松阪神社がありますが、これらは何れもお濠の中側にあります。この他に城内には、「松阪市立歴史民族資料館」と「本居宣長記念館」と「鈴屋(旧宅)」 があります。
 松坂城は、北側を流れる阪内川(さかないがわ)を防御ラインとした要害の地に立地しています。築城当時の石垣は「野面積み(のづらづみ)」で、その石垣を注意深く観察すると、古墳の石棺などの部材も使用されていることが分かります。
   

【☝:御城番屋敷】            

 松坂は元和 5 年(1619 年)に紀州藩に属し、松坂城代役所をはじめとする出先機関が置かれました。御城番屋敷は、松坂城の警備を任務とする紀州藩士とその家族の住居として文久 3 年(1863 年)に建てられました。約1ヘクタールの屋敷地の中に2棟の主屋があり、東棟は 10  戸・西棟は 9 戸(元は 10 戸)で、ほかに前庭、畑地、土蔵などがあります。屋敷は、子孫の方々が明治維新の時に「苗秀社(びょうしゅうしゃ)」を創設し激変の世を乗り越えます。明治になって合資会社に、さらに平成 28 年に合同会社に変更され今日に至っています。今は借家として利用されており、そのうちの1戸を市が借り受けて一般公開しています。 

 上の写真に見るように二つの棟の間の通路は石畳が敷かれ、それぞれ生け垣にかまれた長屋と言ったたたずまい。間取りは、いわゆる六八という六畳と八畳が二間続きに(かわや)と「流し」それに土間がありす。テレビで見る「八さんや、熊さん」が住む一間だけとはかなり差がある立派なものです。
   二の丸跡から眺めると緑の生け垣に囲まれて2棟の長屋がひときわ目立つ、この景色こそ松坂城のシンボルともいえるものです。そのすぐ隣には三重県立松阪工業高校と松阪神社がありますが、これらは何れもお濠の中側にあります。この他に城内には、「松阪市立歴史民族資料館」と「本居宣長記念館」と「鈴屋(旧宅)」 があります。

2 本居宣長(もとおり のりなが)とすばらしい記念館

 

 本居宣長の名前は知っているものの、その生い立ちや成し得た業績については良く知らないのが実情です。記念館の規模や斬新な展示スタイルも、それと若い女性が数人も対応している様に驚きました。
 これだけの体制を維持していくことは相当な予算措置がない限り不可能と思います。本居宣長を市民はもちろん市外の人にも、その業績を称えていくことに誇りと責任を感じている表れと思います。つまりは、松阪市がそれだけの必要性を感じていることにほかならず、市の意気込みを感じます。

 

① 本居宣長はどんな人か

 彼は伊勢松坂の豪商・小津家の次男で、江戸時代の国学者・言語学者であり、医師でした。また、荷田春満(かだのあずまろ)、賀茂真淵(かもまぶち)、平田篤胤(ひらたあつたね)と並ぶ「国学の四大人」の一人でした。一度は養子に行きますが、3年後に離縁して松坂に戻ります。その後、京都へ遊学して医学を学び、さらに儒教、朱子学を学びます。そして、京都から松坂に戻り医師を開業し、自宅で源氏物語、日本書紀の研究に励みました。一時は、紀伊藩に仕えますが、生涯の大半を学者として過ごしま した。そして、69 歳にして古事記伝を完成させます。 面白いことに、彼は鈴のコレクターで珍しいものを多く所有していたといいます。その極みは自宅に「鈴屋」という屋号までつけていました。 

② 国指定特別史跡の宣長旧宅跡 

 城のお濠から通り2本離れたところに本居宣長の旧宅があります。上の写真がそれで、国の特別史跡に指定されています。宣長が12歳から72歳の生涯を閉じるまでの60年間を過ごした場所です。宣長はここで医者を開業するかたわら、日本の古典を研究し「古事記伝」の著述を残し、また多くの門人を指導しました。

 この家は明治42年に松阪公園に移され、宣長の愛称である「鈴屋」の名称で今も親しまれています。 

3 松坂商人「小津家」と松坂木綿(まつさか もめん)

 

 松坂商人は大阪商人、近江商人と並ぶ三大商人と言われています。松坂は江戸時代になると商人の街 として栄えました。三井、小津、長谷川、長井、殿村などの豪商はいち早く江戸や、京、大阪に店を構えました。江戸店持ち松坂商人は、日本橋周辺の大伝馬町、本町、駿河町などにありましたが、大伝馬町一丁目には、松坂木綿を扱う店が集まっていました。 18 世紀初めの記録によれば、町内の木綿店 74 店のうち伊勢の国出身者が、6割を占めていました。そのため江戸の街には伊勢屋の屋号が多かったようですが、その中でも松阪商人が最も多くいました。

 

①  小津清左衛門(おづせいざえもん) 

  松坂商人の中でも小津清左衛門はじめ、「小津 50 党」と称されるほど小津姓を名乗る商人が多く現れました。 その小津家創業の祖と言われるのは、3代小津清左衛門長弘(おづせいざえもん   ながひろ)です。彼は大伝馬町一丁目に紙店小津屋を開業し、次には木綿店を開業します。宝暦5年には、三井、長谷川、長井らとともに紀州藩松坂為替御用を命じられます。  

 明治以降は銀行、紡績工場などを設立して多角経営に乗り出しますが、関東大震災や金融恐慌などの難局を乗り切るため、本来の和紙問屋に復し、現在は創業以来の地で「小津産業株式会社」として紙業と不動産業を継続しています。

 

②  デザインに優れた松坂木綿(まつさか もめん)

 お濠を渡り石垣を見ながら進むと最初にあるのが「松阪市立歴史民俗資料館」です。この建物は明治45年に飯南郡図書館として開館した、総二階建てのどっしりとした和風建築です。昭和53年に新しい図書館が建てられたのに伴い、「松阪市立歴史民俗資料館」として市民の前に姿を見せることになりました。 

 館内には、近世松阪の商都への発展をもたらした「伊勢白粉(いせおしろい)」と「松坂商人」の名を知らしめた「松坂木綿」の関係資料を多く展示しています。 

松坂地方の織阪時代に綿が渡来すると、この地方はその栽培に適し、木綿織物の一大産地になりました。
 それに拍車をかけたのが松坂商人で、江戸大伝馬町に軒を並べた木綿問屋へ、寛政初年の記録では 55~56 万反もの松坂木綿が送られていきました。
 松坂木綿は、単に品質が優れているだけではなく、縞柄(しまがら)がいわゆる粋好みの江戸庶民に大いにうけ、「松坂縞(まつさか じま)」の名でもてはやされたのです。

2017秋の研修会

2017年度ガイド養成講座

二つの山城見学と岩村の街を散策
苗木城と岩村城.pdf
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先進地の取り組み研修.....浜松城の見学

 7月19日ガイド養成講座は、先進取り組み地の浜松城を見学しました。女城主直虎で話題になっていることもあり、楽しみな見学でした。バスは2時間ほどで到着し、浜松観光ボランティアガイドの会について説明を受けました。有名な観光地のガイドだけにとても素晴らしい活動ぶりでした。

資料館の運営を任されているボランティアガイド!!

 その特徴は①ガイドの人数は124名②組織として事務局と広報部・研修部・事業部があり、その元に五つのブロックに分かれ、且つ資料館部がある。

組織が大きいのでこのような運営体制を敷いていることと、中でも資料館部は浜松市から委託を受けて犀ケ崖資料館の運営を任されているという。ボランティアガイドではあるものの、資料館の運営を任される存在であることが特筆すべきですばらしいことです。

浜松城を見学して

 徳川家康が今川・武田・織田など強大な戦国大名に囲まれ29歳~45歳ころを過ごし、生き抜いて天下取りの夢をつかんだのが浜松城です。昔は引馬城と呼ばれていたものを、家康が浜松城として新たに築城したものです。お城の石垣は当時のもので野面積みです。

 また、園内には空襲の被害を生き抜いたプラタナスの木が大きく枝を這っていたのが印象的で、戦国の時代を象徴するお城と戦争の思い出となるプラタナスが、今の平和な世の中で存在感を示しています。

 

下段左は引馬城、今の東照宮       右は戦災を生き抜いたプラタナス

 

2017年ふるさと講座

 

始まりました「東浦ふるさと講座」

 

 今年のふるさと講座が6月6日から始まりました。東浦の素晴らしい歴史や文化についてお話しします。4回に分けて行い、うち2回は現地での研修となります。途中からの参加もOKです。ぜひ参加してください。日程と開催場所は以下のようになっています。

参加費はテキスト代含め400円です。

 

6月6日......石浜・緒川新田について  郷土資料館

6月13日...緒川について       郷土資料館に集合して乾坤院・緒川城跡など

6月20日...森岡について       森岡コミセン

6月27日...藤江・生路について    郷土資料館

 

2017年春の研修会

 

松平郷の歴史散策

松平郷の史跡を巡る
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2016年秋の研修会

天然記念物「竹島」と焼失した安楽寺の見学

 

平安時代に蒲郡を開発した「藤原俊成」

 

今回は21名の参加となり車5台に分乗して、藤江の老人憩いの家を9時にスタートした。国道23号を走って竹島に到着し、ここでガイドの山田さんと合流する。研修部のみなさんが竹島を月曜日に訪れることにした理由は、ガイドの山田さんが案内を担当するのが月曜日だからという。ベテラン観光ガイドの説明の仕方、話し方、お客との接し方などお手本にするのが目的の一つなのだ。

 初めに蒲郡の生い立ちについての話があって、竹島を目の前にした海辺の芝生広場に移動する。そこには烏帽子姿の一人の像が建っている。平成3年にふるさと創生事業の一つとして建立された「藤原俊成」である。彼は平安時代の代表的歌人で、小倉百人一首の選者して知られる藤原定家の父でもあります。

説明するガイドの山田さん             藤原俊成の像

 

鳥居をくぐる橋でつながる竹島

 

 芝生の前に竹島が浮かび、穏やかな海が広がっている。遠くに船が見えているが、これは自動車運搬船だろうという。トヨタは名古屋港から積み出しているが、ここの港からは三菱の輸出車の半分が積み出されているそうだ。そんな説明を聞きながら387mの竹島橋を渡っていく、途中で振り向くと竹島クラシックホテルが美しい姿で横たわっているのが印象的である。このホテルはアールデコ様式の建物で昭和9年に日本初の国際観光ホテルとして開業した。春のツツジまつりは有名でフレンチ料理やお茶を楽しむ人でにぎわう。そして、珍しいのが橋を渡りきる少し手前の所で、竹島橋は八百富神社の大きな鳥居をくぐるのだ。

 

 鳥居をくぐりここから竹島に上陸する、この島全体が国の天然記念物に指定されているとは知らなかったので、意外な感じがした。竹島海岸は春には潮干狩りの名所として親しまれ、周囲約680mの花崗岩からなる楕円形の島には、65238種の暖地性植物が繁茂し、昭和5年に国の天然記念物に指定された。ガイドの山田さんが説明してくれた中で、1本の木に 2種類の葉っぱがついている木、竹は生命力が強くあちこちでその繁茂ぶりに困っているが、3年するとすべて枯れてしまい広がらない竹などが印象に残っている。

神社にお参りをして海岸に降りる道では、素晴らしい眺めのビューポイントもあり青い海と緑の松などの取り合わせは、まさに絶景かな絶景かな。また、海岸を歩くと色の違う岩が目につく。これは隆起した年代が違うのだという、なるほど説明を受ければ合点がいく。それに、所々に四角い小さな穴が連続して空いている岩が散見された。これは名古屋城の石垣として切出したときの名残だという。岩の一つ一つにも歴史が読み取れる、何事も漠然と見るのではなく好奇心をもって眺めなくてはいけない。そんなことを考えながら海を見ていると、遠い昔の出来事を思い出した。一つは入社2年目だったと思うが、健保組合の保養所に泊まって水泳訓練に来たことだ。あのときの20名の仲間も今は16名になってしまった。 

 

竹島に祀られている神社と祭神

 

 「三河雀」という書物の中で、竹生島・江ノ島などとともに日本七弁天として紹介されている「竹島弁天社」は、現在の八百富神社の前身で、養和元年(1181)に俊成が琵琶湖にある竹生島より勧請したと伝えられています。鳥居をくぐるとすぐに急な階段を上ります、なかなかきついですがあわてずにゆっくり上れば大丈夫。手水場から狭い場所に五つの神社が連続して建っています。順にならべますと

 

★「宇賀神社」、宇陀御魂神を祀る食べ物の神様で商売繁盛を祈ります。屋根瓦には葵の紋が彫ってあります。

★「大黒神社」、大国主命が祭神で、商売繁盛・福の神。

★「千歳神社」、藤原俊成を祀る。長寿・勉学の神。

★「八百富神社」、一杵島姫命を祀る。開運・縁結びと安産の神。日本七弁天の一つ「竹島弁天」が祀られていて、巳年と亥年にお開帳される。

★「八大龍神社」、豊玉・彦命を祀る。家内安全・夫婦円満・厄除けの神。雨乞いに霊験著しい神。

 

 

本堂が焼失した安楽寺

  

 14時30分には最後の目的地である安楽寺へ向かった。本堂がなくなって広場になったお寺に到着したころは雨が本降りになっていた。この寺は南北朝時代に本宿に法蔵寺を建てた上人の弟子が、応永15(1408)に安楽往生を願い創建とされる。そして、永禄6(1563)久松俊勝が上ノ郷城の城主となり、安楽寺を菩提寺と定め寺領を寄進した。浄土宗西山深草派で本尊は阿弥陀如来像、三河七福神の一つ。立派な山門は蒲郡市の指定有形文化財になっている。

荘厳な山門                    焼失前の本堂

  

 乾坤院の山門よりも一回りも二回りも大きく、その規模は間口9.5m、奥行き5.36m、高さ13.75mを誇り、宝暦2年(1752)に造営され市内最大であると記されている。全体に荘厳で落ち着いた印象を与える建築は、市内の古建築として特に貴重なものと説明されている。その中で「斗栱」は禅宗様二手先とか三手先の詰め組である、と説明されているがどのようなものか分からないのが残念。焼失した本堂は屋根が平屋ではなく、二階建てのような造りだったのを覚えている。以前に見学したとき、なぜこの建て方になったのか

お庫裡さんに聞いた。その答えはこれまた意外なもので「山門の屋根 が本堂より高いものになってしまったので、縁起が悪いと後から本堂の屋根をかさ上げした」という。本堂は1630年にでき、山門は1752年にできたとあるので、その後改築されたわけだ。その時面白い話だと思っていたら、さらに話題が一つあった。話しを聞いたお庫裡さんはなんと緒川の出身だったのだ、不思議と於大に結びつくではないか!!...と思ったものだ。

 

 最後に本堂跡地の隣にある墓地に行き、久松俊勝の立派な宝筐印塔を見学方々お参りしました

   

☆2016年度ガイド養成講座の現地研修

 

長篠設楽原の戦い跡を訪ねる 

 

 7月20日 ガイド養成講座の目玉になっている先進地研修の一環として、「長篠設楽原戦いの跡」見学が行われました。現地ガイドの案内で馬防柵、信玄塚を見て回り、他にはバスで戦となったエリアを回って説明を受けました。  

           2kmにわたった馬防柵

  

 小さな連吾川を挟んで両軍がにらみ合ったという場所は、小高い山と山の間およそ幅300m程の耕地が広がっている。馬防柵は連吾川を目の前にした山裾に、新東名のあたりまで約2kmにわたって築かれたという。しかも、信長が岐阜から材料を運んできたというが信じられない。近くから調達するのが自然で、わざわざ遠くから運ぶ必要性があるとは思えない。それとも岐阜か

                   ら運んだという証があるのだろうか。

                   再現されている馬防柵は丸太がまっすぐに建てられているだけで、支えが1本もないのが不思議だ。これでは体当たりを重ねると倒れてしまうのではと思う。それに、信長が現地に到着したというのは天正3(1575)518日で、21日早朝には大勢が決したというから、その間に2kmにわたる馬防柵を作ることができたのか……

 

鉄砲を使った古戦場のアピール 

 織田・徳川軍38.000人、武田軍18.000人が激突したが、馬防柵を築き大量の鉄砲を使った織田・徳川軍が圧勝した。古戦場跡に特別なものが残っているわけではなく、馬防柵を再現したことにより当時の戦の雰囲気をうかがい知ることができる。村木砦跡も何かを考えることが大切なことだと教えられた。

 

下図は織田・徳川軍と武田軍の配置を示す。

 左上の緑の枠が織田信長の本陣、その右の緑の枠が羽柴秀吉、その下の緑の枠が徳川家康。中央右の赤い枠が武田勝頼の本陣。

秀吉から家康の陣の前に連なる記号が馬防柵で、2kmにわたって造られたという。

 

織田信長軍の主な武将

   織田信忠 柴田勝家 丹羽長秀 明智光秀 羽柴秀吉 佐久間信盛 前田利家 

   滝川一益

徳川家康軍の主な武将

   松平信康 石川数正 本田忠勝 大久保忠世・忠佐・忠教兄弟 高木清秀 

 成瀬正一  平岩親吉 水野忠重 

★軍勢の比較  

織田・徳川方 38.000人  死者60未満         (ウイキペディアより)

武田方      18.000人  死者10.00012.000

 ☆戦死した主な武将…..土屋正次 内藤昌豊 甘利利康 山県政景 真田信綱 

              原昌胤  真田昌輝  

 

☆2016年度春の研修

松平・徳川家にまつわる神社仏閣を訪ねる

 5月17日午前8時20分に出かけて、岡崎の法蔵寺・山中八幡宮・西大平藩陣屋跡・六所神社・隋念寺・伊賀八幡宮・大樹寺を見学して午後4時に帰りました。西大平陣屋跡以外はいずれも松平・徳川家にまつわるものばかりで、家康が子供のころからの生い立ちに因縁の深い神社仏閣です。

法蔵寺

ここは近藤勇の首塚があることで知られています。なぜここにあるかと言うと、ここの住職が京都から法蔵寺に転任するときに持ち帰ったという....寺の記録があるという。 それと大事なことは於大が嫁いだ松平広忠の墓があります。(左写真の一番大き五輪の塔)それに、家康が惨敗した三方が原の戦いで倒れた18人の墓があります。そして、家康幼少期には手習いに通ったところといいます。

山中八幡宮

緑に包まれた106mの丘の上にあり、太古からの生き残りと言われるヒメハルゼミの生息地です。

 もっとも知られるのは家康が一向一揆のときに逃げ隠れた洞窟があります。こんな場所はすぐ見つかりそうと思いますが、鳩が飛びだしてきたので人が隠れているはずがないと探さなかった...それで、鳩ガ屈と名前が付けられています。

西大平陣屋跡

大岡越前が1万石(ほとんどの9.000石は三河にあった)の大名になってから明治まで、西大平藩の陣屋が置かれたところ。八代将軍吉宗の下で江戸町奉行として活躍、享保の改革を断行する大きな原動力となりました。

 

六所神社

天文11年(1542)12月26日竹千代君が誕生になり、産土神として拝礼があったと伝えられている。現在の本殿などは三代将軍家光が、岡崎城主の本多忠利を奉行として造営した。

本殿・拝殿・楼門などはいずれも国指定の重要文化財に指定されている。

日光東照宮にも似た荘厳な楼門は石垣の上にそそり立ち、まるでお城と見間違えるほどである。

隨念寺

家康は母於大が離縁されたため、おじいさん(清康)の妹久姫に養育を受けた。その久姫を弔うために建てたお寺。

三河浄土宗では最古のお寺。

 

 

 

伊賀八幡宮

松平家(徳川家の祖)の守護神。松平親忠が子孫繁栄と武運長久を願って建立した。

社殿・随神門・石橋は国の重要文化財。随神門は日光東照宮を思わせる荘厳なつくりである。

 家康は出陣の際に必ず祈願したという。

 大樹寺

松平家(徳川家)の菩提寺。松平八代の墓と家康の墓がある。

  桶狭間の戦いに敗れ逃げ帰った家康は、大樹寺の先祖の墓前で自害しようとする。が、住職の登誉上人にいさめられる。この時の教え「厭離穢土(おんりえど)」「欣求浄土(ごんぐじょうど)」.....この世をけがれた世界として厭い離れ、平和な世・喜びを求めることをめざした。つまり、戦のない世の中

                  をつくろうと決意した。

 

 

 

☆2015年度秋の研修

 

「二重の掘りはお城のような本證寺」

 

今回の研修旅行の一番の目玉は「三河一向一揆」に関わる3つの寺の見学でした。下に掲げる図は一向一揆の拠点となった本証寺の復元図です。本証寺は民衆史研究者、城郭研究者に注目され、研究の的になっている寺です。今年27年3月に文化財の国指定を受けたと聞きます。たぶん全国でも、二重の堀に囲まれた堅固な城のような寺はここしかないでしょう。民衆と地侍と「坊主」はここに立て籠もって戦いました。

また、戦い相手の徳川家康は1560年桶狭間の戦いの後、今川の束縛から解放されました。そして、本格的な領国支配に乗り出すための、軍事費・兵糧米調達をしようとしての一揆の始まりです。制覇した、家康にとっては領国支配の完成となる出来事でした。

 

訪問した三河三ヶ寺周辺は道路が入り組んでいて、わかりにくい所でしたが下見をして詳細な地図まで書いて準備してくださった研修部の皆さん、安全な運転で車を提供してくださった3方に感謝です。

 このあと安城歴史博物館・天竹神社へ

 安城歴史博物館では来年の124()まで特別展 明治用水を築くもととなった都築弥厚の「台地を拓く 都築弥厚の夢」が開催されています。愛知の偉人で有名です。この展示の最後の大量の借金証文は度肝を抜かれます。総額25,000両にも登ります。私財をなげうち、借金をしてまで用水建設に打ち込む実物証拠です。弥厚の死後、子息の出奔まで起こります。奔届けの古文書の展示もあり、すさまじい展示です。

 最後に寄った天竹神社(てんじくじんじゃ=綿の神さまを祀る)西尾市愛知県西尾市天竹町池田53は、全国からの綿の取引業者からの寄進が飾られ、珍しい神社です。


☆2015年度 春の研修は田原地区に出かける

520() ふるさとガイド協会の春の研修旅行が実施されました。参加者11名が自家用車3台に乗り合わせて田原市で研修をしました。行程は次のようになります。

うのはな館出発 830 2時間掛けて田原市まで移動   田原博物館→田原城跡→民俗資料館→大手公園 田原城 惣門跡 →田原まつり会館→昼食→城宝寺(崋山菩提寺 天井画鑑賞)→ 池ノ原公園(崋山幽居跡・お茶)→吉胡貝塚(縄文後期遺跡 人骨300体出土)→蔵王山展望台→帰路→うのはな館着 17:40

「千山万水図」=崋山を深く知る

 今回の研修旅行の一番の収穫は初展示された崋山の「千山万水図」です。崋山が田原に蟄居してからの最後の年天保12年(1841)、自殺する数ヶ月前に描かれた絵で、崋山の魂が詰まった絵です。

 かなたに高くそびえる富士山、そして江戸湾、相模湾~伊勢湾。太平洋に面した日本列島の東岸を飛行機から見下ろしたような鳥瞰図を書きました。崋山の住む田原も描かれていると言います。その日本列島を右の太平洋から西洋列強の手が及んでくる、日本を守らなければならない、日本を安全に守る義務があると崋山の危機感がにじみ出ている。外国を知れば知るほど、幕府に対してそんなことでどうするのだと、訴える絵になっていると言います。


☆ 2015年度 東浦ふるさと講座 

ふるさとのすばらしい歴史や文化を学びましょう!!


 東浦の歴史や文化の魅力を再発見する講座です。自分が住んでいる郷土の歴史は意外と知らずにいるものです、私たちの郷土東浦を一緒に学びませんか。

 

内容織田信長が初めて鉄砲を使った村木砦の戦

   家康の母「於大の方」と水野氏

   古代の生道塩...等、町内6地区の歴史や文化について学びます

日時…毎週火曜日 全4回

   第一回 6月 2日() 9:3011:30 

   第二回 6月 9日() 9:3011:30 

   第三回 6月16日() 9:3011:30 

   第四回 6月23日() 9:3011:30 

場所…東浦町郷土資料館「うのはな館」

    (但し、第三回の16日は森岡コミニュティーセンター)

     東浦町石浜桜見台18-4(ナビ検索は0562821188)

参加費400円(テキスト代含む)

申し込み527日(火)までに 下記へ(電話申込可)

  東浦町郷土資料館「うのはな館」

        電話 0562-82-1188  FAX   0562-82-1189

        (月曜日を除く、午前9時から午後5時)

     ールホームページでの申し込は、お名前・住所・電話番号・

        参加者名 を明記し、送信してください。


☆ 東浦ふるさと講座 2014年度

  ふるさとの良さを学びましょう!

 

 東浦の歴史や文化の魅力を再発見する講座です。自分が住んでいる郷土の歴史は意外と知らずにいるものです、私たちの郷土東浦を一緒に学びませんか。

 

内容織田信長が初めて鉄砲を使った村木砦の戦

   家康の母「於大の方」と水野氏

   古代の生道塩...等、町内6地区の歴史や文化について学びます

日時…毎週火曜日 全4回

   第一回 6月 3日() 9:3011:30 

   第二回 6月10日() 9:3011:30 

   第三回 6月17日() 9:3011:30 

   第四回 6月24日() 9:3011:30 

場所…東浦町郷土資料館「うのはな館」

     東浦町石浜桜見台18-4(ナビ検索は0562821188)詳しくは

参加費500円(テキスト代含む)

申し込み527日(火)までに 下記へ(電話申込可)



     東浦町郷土資料館「うのはな館」

        電話 0562-82-1188  FAX   0562-82-1189

        (月曜日を除く、午前9時から午後5時)

     ールホームページでの申し込は、お名前・住所・電話番号・

        参加者名 を明記し、送信してください。

2014年は下記の通り開催されました

 第一回6月3日、第二回6月10日、第三回6月17日、第四回6月24日

第一回6月3日

 今年度のふるさと講座は10名の参加を得て開講しました。
 内4名は町外の方です、そして女性は2人と言う構成になりました。
 伴会長のあいさつに続いて、市野さんが東浦の生い立ちと緒川についてお話しました。

 その後、乾坤院に移動して戸田さん、河合さん、神谷さん、村瀬さんが山門、堅雄堂、四代の墓、三代の墓を案内しました。


☆ ふるさとガイドボランティア養成講座 2014年度

ガイド養成講座が引き続き7月に、うのはな館(東浦町郷土資料館)で開催されます 。

  

●とき  7月1日()、9日(水)、16日(水)、23日(水)、30日(水)

     全5回   午前9時30分~正午 ※視察研修あり

●ところ うのはな館(郷土資料館) 

●内容  東浦の史跡や自然の良さを伝える「ふるさとガイドボランティア」の養成

●対象  ふるさとガイドボランティアとして活動する意欲がある方

●定員  20名(先着順)

●講師  高木 傭太郎氏(愛知東邦大学非常勤講師) 他

●受講料 無料

●申し込み 6月10日(火)午前9時から「うのはな館」にて受付開始

       電話申込可

●問い合わせ うのはな館(郷土資料館)☎0562-82-1188