東浦あれこれ
栄徳丸を知っていますか?
-東浦の廻船が東京まで往復して活躍-
丸が付くから船の名前ということがわかります。さて何の船でしょうか。徳が栄える船とは一体どんな船でしょう。この徳とは原田徳右衛門の「徳」を示しています。
この度わかった知られていない事実、原田酒造は廻船でも活躍した。江戸時代末期より、原田酒造は何度も江戸に酒を船で出荷して繁盛していたことは知られていますが、何と明治初めに自前の廻船を持つぐらい成長を遂げたのです。
あの、生路の生道井の原田酒造です。原田酒造の持ち船が栄徳丸ということです。明治から大正にかけて酒造家としての活躍の他に、廻船を持って東京まで出かけ、東京と東浦を船で往復して活躍したのは驚きです。
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9月27日(土)日福大、地域公開講座
「東浦の酒造業と廻船」曲田先生の講座より
新たに原田家文書から判明した新事実
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この講座をきっかけにして、資料館では展示が行われています。是非、ご覧ください。
廻船の船に表示され、船名を示した船額の実物展示もしてあります。これは亀崎の廻船「穏乗丸」(おんじょうまる)のものです。亀崎が知多半島の東浦(東海岸)の廻船の中心基地の一つとなっていたようです。
(2014.9.28 Y.S)
緒川の社宮司の神木が切られる
神木が切られたとの噂を聞いて確認しに行ってきました。
確かに木は一本もありません。
何百年も緒川の地を見守ってきた椋の大木がなくなっています。
何らかの事情があったのかと思いますが、私たちの財産の一つがなくなってしまったという思いです。
切るのは一瞬ですが、もと通りにはならないでしょう、残念です。(O)
2013年9月26日の様子
2012年12月1日の様子