徳川家康の母「於大の方」
緒川城(愛知県東浦町)に生まれる。
父は緒川城主水野忠政、母は於富の方。
14歳で岡崎城主松平広忠に嫁ぐ。
翌年家康を産んだが、水野氏が織田方についたため、3歳の家康を残して岡崎を離縁された。
後、阿久比の坂部城主久松俊勝に嫁ぎ、夫とともに家康の天下統一を支えた。
「於大」は「おだい」と読みます
於大の生きた時代
戦国時代の終わりころ、天下統一へと歴史は大きく動き始め、織田信長、豊臣秀吉そして徳川家康らが活躍する。
この時代に緒川城主水野氏の娘として生まれたのが、家康の母「於大の方」であった。
戦国の世の女性、とりわけ小国の城主の娘於大の生涯は波瀾に満ちたものであった。
「於大の方」ゆかりの地
緒川城址
於大の方は緒川城(愛知県東浦町)で生まれた。
善導寺
自らの菩提所と定め、たびたび参詣した 。
三尊来迎仏を始め、数々の寄進をした。
「於大の方」と「徳川家康」の位牌がある。
乾坤院
1475年水野貞守が一族の菩提寺として創建。
境内には水野忠政の墓をはじめとした水野氏四代
の墓所や、水野氏歴代の位牌を祀った堅雄堂が所在
する。
三代の墓
初代緒川城主の水野貞守を中央に、左に二代目水
野賢正、右に水野清忠(於大の祖父)の墓である。
家康を助け徳川支えた水野氏
おだいちゃん
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参考:東浦町郷土資料館(うのはな館)