2018年度 「ふるさと散歩(緒川中・北編)」

2018.12.1(土)二つの原点 濁池城の西からの遠望と天白遺跡

 気温は17℃と暖かく、風もなく穏やかな初冬のふるさと散歩でした。

 参加者は22名、そのうち1名は小学4年生の女の子が同伴で参加しました。2時間の長丁場でしたが最後まで皆さんと一緒に頑張って歩いてくれました。入海神社では鳥居前で自らきちんと一礼していました。

 二つの原点の1つは天白遺跡で発掘調査を通して明らかになった、その様子の写真をパネルにし説明をしました。多くの方が興味を持ち、  

緒川小学校前から右の民家後方の     埋め戻す説明に残念な声が聞かれました。

         濁池城址を望む】   もう1つの原点は時代がさかのぼって、今は                 

「お不動さん」がある小高い山に「濁池城」跡があり、緒川発祥の地と言われています。

 これら二つの原点に関連した史跡が多く緒川にはあります。縄文時代(入海貝塚)、弥生時代(天白遺跡)南北朝、戦国時代をはじめとした、それぞれの時代の先人たちが造り上げ、受け継いできた文化があります、今回のふるさと散歩はその痕跡を辿ってみました。

 また、地元の方もあまり通っていない「横の横」道をあえて選んでみました。

 今年も多くの皆さんに参加をいただきありがとうございました。来年も「ふるさと散歩」にご支援をいただきますようお願いいたします。

 少し早いですが良いお年をお迎えください。

↓緒川本陣跡の北側を歩き道路元標に向かう ↓弁天広場の左側から高薮城跡を望み

 第2グループ               歴史背景の説明を聞く第1グループ

天白遺跡で発掘時の写真をもとに概要を説明する   ↑傳宗院の知多四国8番札所              

 協会員                       で行き交う参加者   

↑入海神社への狭い路地は    ↑入海神社の夜啼き石の由来を聞く参加者(小学4年

 黒塗りが連なる家並みで     の参加者も聞き入る)

 風情がいっぱいでした

不動さん本殿の装飾飾り猪目(いのめ)は日本古来から使われている図柄で、皆さんよくご存知の”ハート”によく似ています。”ハート”を逆さにすると”猪目”になります。その名の通り、猪(いのしし)の目に由来して、魔除けや福を招く護符の意味合いがあり、伝統的な日本建築には必ずと言っていいほど使われています。
例えば懸魚(げぎょ)という屋根の合わさった場所にあったり、仏具や飾り金具という木のつなぎ目を隠す金属の装飾にあります。

第7回 ふるさと散歩(緒川中・北編 案内)

★日  時    12月1日(土) 午前9時30分~午前11時30分ごろ     

           午前9時20分集合 次第順次出発します

★集合場所 緒川コミュニティセンター

         (ナビ用住所:知多郡東浦町緒川屋敷弐区58-1)  

★内  容 道路元標⇒緒川本陣跡⇒弘法道と丁石⇒札木の辻跡⇒弁天広場⇒

 (コース)   お不動さん⇒濁池城西から遠望⇒八幡社跡⇒天白遺跡⇒伝宗院⇒

      入海神社⇒社宮司⇒緒川郷蔵 

 濁池城の西から遠望と天白遺跡(案内)

 天白遺跡は今年1月13日(土)発掘調査現地説明会が行われました。「遺跡」とは昔の人々が生活した跡のことをいいます。(原点1)

 遺跡は主に弥生時代中期(1世紀)、弥生時代後期から古墳時代前期(2~4世紀前半)、古墳時代中期から後期(5~6世紀)、鎌倉時代(12~13世紀)の長い時代の遺跡が積み重なっています。長い時期にわたって暮らしたところです。遺跡からは粘土で作った「土器」や石器も多く見つかっています。天白遺跡では70軒の「竪穴建物(住居)」の跡が見つかっています。今は埋め戻されていますが、古代人の生活する姿に思いを馳せてみましょう。壮大なロマンを感じませんか。

 濁池城は南北朝時代に「小川氏」が敵に攻められ、籠城して滅びた場所と言われています。小川氏滅亡ののち約百年後に5代の子孫として水野貞守が小川を支配しました。(原点2)

【天白遺跡の航空写真    天白遺跡と濁池城を原点にして、以降多くの地域文化が生ま

   郷土資料館提供】  れ祖先たちの生活と心のよりどころとなってきました。

                                     緒川の『歴史の証人たち』を訪ねます。